秋のさなかのことです。
職場に併設するカフェで一人のご婦人と面会しました。
およそ10年くらい前に、半年間だけいっしょに仕事をしたことのある方です。
小柄で品良く、物腰の柔らかい聡明なご婦人です。
その後、お会いしたのはやはり職場で2、3度くらいのものだったでしょうか。
その悲しい報せを告げるためだけにやってきた「使者」は、紅茶の注文を終えるとすぐ、本題に切り込みました。
「わたしの30年来の友だちが3週間前に亡くなったの。その人はね、あなたのお知り合いでもあるのよ。ゴンちゃんって知ってるわよね?」
頭をバットで鋭く振り抜かれたような直線的な衝撃を受けました。
ゴンちゃんの飼い主さんがみまかられていた——
その婦人は穏やかな口調で続けました。
亡くなるおよそ半年前、5月くらいに病気で倒れたこと。
そのとき、膵臓に悪性の腫瘍が発見され、そのまま入院したこと。
余命いくばくもないと宣告されたこと。
そのことを親しい人にしか伝えなかったこと。
見舞いに訪れた日、初めて共通の知り合いとして「私」があることを互いに認識したこと。
『夏央(かお)ちゃんは、ゴンの最後の恋人だったのよ』
病床の老婦人は、とても痩せ細ってはいましたが、いつものように明るく話をされていたそうです。
面はゆくも私を好青年と褒めそやしてくれたそうです。
そして、病気であることを私には伝えないようにと頼まれたそうです。
目に涙が溜まりました。
注文していたアールグレイとジンジャーミルクティーのポッドがテーブルに載りました。
涙を目に留めることに必死でした。
それから、「使者」であるその婦人は、ゴンちゃんの飼い主さんがどんな歩み方をされてきたかをごくごく簡潔に話してくれました。
ご主人はゴンちゃんを溺愛していたこと。
そのご主人は5年ほど前に他界されていたこと。
4人姉妹(皆さん既婚で孫は9人)を育て上げたこと。
その4人目の令嬢と「使者」である婦人の令嬢(長女)が同じカトリック系の幼稚園に通っていたこと。
これを機に交流が始まり、読書会を立ち上げたこと。
のちにシェイクスピアの朗読会にも加わったこと。
クリスチャンであること。
明るく気丈で、自信に満ちた言動によって周囲の目と気を引く魅力溢れる人物であったこと。
「そういえば、老婦人のご主人とあなたは少し似ているところがあるわ」
ティーカップを手に婦人が付け加えた言葉に、ついに涙はこぼれました。
「そういうのはちょっとずるいですよ」
窓の外に視線を逸らしても何が見えたか覚えていません。
10月8日の朝。
『今日は何曜日?』という言葉を最後に息を引き取ったそうです。
享年75歳。
遺言により新聞には掲載されず、しめやかに葬儀は行われたそうです。
「そうそう、これをあげるわ。老婦人が最も好んでいた言葉よ」
その紙には「ニーバーの祈り」と題された祈りの言葉が記されていました。
神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
そして、「使者」に別れを告げ、席を立ち、仕事に戻りました。
在りし日のゴンちゃん |
左、冬湖/右、夏央 |
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